粋に楽しむためには、 その中に適応することが大切で、 アマチュアだから、 その分野で、調子に乗って なんでもやっていいわけではない。 人間は、人と人との間に コミュニケーションが生まれて、 その中で、ある意味承認欲求で 認められることによって、 喜びを感じるものである。 だれからも認められる 一流のアマチュアを目指すことが 大切です。
粋に楽しむためには、 その中に適応することが大切で、 アマチュアだから、 その分野で、調子に乗って なんでもやっていいわけではない。 人間は、人と人との間に コミュニケーションが生まれて、 その中で、ある意味承認欲求で 認められることによって、 喜びを感じるものである。 だれからも認められる 一流のアマチュアを目指すことが 大切です。
アマチュアの定義
日本ってプロとアマチュアの境目が曖昧ですよね。20年前に小学校の部活動が学校から保護者へ移りました。初年度に息子の野球チームの副代表をやりました。ただし、体制移管に伴う新しい枠組みが、単に保護者に丸投げ状態でしたからトラブルは必然でした。「勝利優先」だ、「我が子優先」だ、などと保護者のエゴ丸出しのまるでプロのチームのような有様。我々は苦情処理係。何のために小学生の野球チームがあるのか?という理念が無かったんですね。今度中学校もそれに倣って土日を地域に丸投げするみたいです。まず「教育」の名の下の部活動は死滅するでしょうね、アマチュアリズムの原点なのに。
教育が一番大切なんで
教員がたらんかったら予算つければ
いいんだと思います。
部活見る専属の教員でも
未来の宝を育てるという観点から
サラリーが発生しても
おかしくないのに、
地域におねがいというのは、
今の政権のやり方そのもの。