努力の先にあるのは

 初期のロールプレイングゲームは、経験値をため
強い武器、防具を手に入れ、たとえやられたとしても
復活して、最終的にはハッピーエンディングを迎えました。

 成功体験は重要なことで、一生懸命敵を倒して、
レベルアップすれば、勝てるという事実は大切ですが、
実世界では、例えばゲームが上手くなったとして役に立つか
どうかは、使いようによってはわかりません。

 パチンコが強くても金が入ってきても、非生産的で
生活を滅ぼす可能性もあり、ゲームにしてもうまくても
仕事に役に立たないこともあり、努力の仕方によっては、
バットエンディングを迎えることもあります。

 必ずハッピーエンディングクリアできる
成功体験しかしていない人は、
麻雀で負けても自分は悪くない、
くそげーだという人も多く、
それこそ実生活で起こりえていれば、
会社が悪い、
親が悪いという
責任転嫁をするようになります。

 ファミコンはリセットできますが、
(今時ならリセマラか)
実生活はリセットできません。
受け入れないとです。

ドラゴンクエスト。
小4かな?
ドルアーガの塔が売り切れでスターフォースを
買った次のソフトでした。

初クリア時、姫を助けてませんでした笑

「努力の先にあるのは」への2件のフィードバック

  1. 非認知能力がキーワード?!
     昨今の学習指導要領改訂でクローズアップされたのが「非認知能力=数値化できない能力」です。その一つが出来るだけ自分で努力してやり抜く力。そんなん、昔から言われてんじゃん、でありますよ。「数値化」に馴染まず「客観性」に乏しいという理由で『評定』から外されていたのがこれまで。海外では20年前からその大切さが指摘されていました。つまり、日本の教育は20年遅れて再認識したわけですね。学生の場合、努力の先にどんな結果が待っているか分からないが、その『過程』に価値があると考えます。自分たちの不見識を反省もせず、今頃シレっとして前言を翻す文部官僚はアホ以外の何物でもありませんて、正直。

    1. 基礎研究の大切さを放棄して、
      応用研究に金をだしていましたから、
      これから衰退の一歩は免れません。

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